山原ギャラリー
2008年6月25日(水) 第142回 『古寺を行く〜康徳寺〜』
画像  特別宗教心もない私ですが時に歴史ある古い寺を訪ねゆっくりとしたひとときを過ごしたくなります。これまでは奈良、京都でそれを実現させていましたが、広島県にも由緒ある寺があるはずです。ありました。訪ねました。それは世羅郡世羅町にある《康徳寺(こうとくじ)》
 ツバメが飛び交う緑の稲田を見ながら車を走らせていると小高いところにそれらしき寺。緩やかな坂の参道にも山門前にもアジサイが―。そう、康徳寺は知る人ぞ知る《アジサイ寺》だったのです。24代目住職の田坂明道(めいどう)さん(72歳)に案内していただきました。もともと5〜6株あったアジサイを増やし始めたのは明道住職のお父さまの諦道(ていどう)さん(99歳)。画像25年くらい前のことです。寺では挿し木をし、寺に出入りする人は色々な品種を持参して今ではどれくらいの数の品種があるのか、どれくらいの株数があるのか―。どこを歩いてもアジサイ。澄んだ青、青紫、浅緑、生成り色、紅梅色などなど色さまざま。花の様もぼってり重そうな球状や風に乗ってスーッと飛んで行きそうな軽やかなヤマアジサイ系など。『口や理屈で仏教をわかってもらうことは難しい。心和み「美しい」と感動する自然空間に身を置き自然との対話の中で仏の教えに近づいていただければ』という先代住職の考えとのこと。一つ一つのアジサイに足を止め姿勢を低くし見つめながらあなたもゆっくりと―。
 目の前に山の傾斜を巧みに取り入れた庭が広がりました。《雪舟の庭》です。雪舟は康徳寺に何回か足を運んでいます。池の中の“舟石”、礼拝石、借景など雪舟の庭の特徴を充分備えており雪舟作庭は間違いなし、と雪舟研究者。礼拝石にたたずんでいるとカラ―ンと獅子おどしの音、山からはキビタキのさえずり、水面にはコシアキトンボ。雨の露をいただいた緑の木々も苔もしっとりと落ち着いていて心の中まで湿潤に。

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 康徳寺の由緒を聞きました。創建は遥か昔、奈良時代です。宗旨は定かではありません。当時の寺の礎石・瓦、お釈迦さまの誕生仏が残っています。記録に現れるのは宗旨を臨済宗に改め、名僧石室善玖(せきしつぜんきゅう)を開山として迎えた文和2年(1353年)頃から。ここから数えても康徳寺は650年以上の歴史を刻んでいます。
 臨済宗は禅宗です。康徳寺では毎月《坐禅会》を開いています。今回私は特別に坐禅を組ませていただきました。一つ二つと呼吸を静かに数えます。「バンバン」―両肩に住職の警策をいただきます。再び一つ二つ。ただただ息を吸い吐き―。心を空(くう)にするとはこういうことなのでしょうか。
 別れ際、田坂住職はおっしゃいました。「今、人々は“走って”生活している。時に違った場所にゆっくりと身を置いて自分の生活を見つめ直してみるのも必要。殺伐とした時代であればこそあらためて“生きることの意味”を考えることが大事ではないか」と。

 今週のはがき絵はアジサイです。アジサイは日本原産の植物です。その意味では「ジャパネスク」。海外に出、様々に改良され逆輸入されて現在の種類の多さになったと聞いています。装飾花の少ない華奢で楚々とした風情のアジサイも描きたかったのですが、清く澄んだ青(日本原産のアジサイの色は青とのこと)が私を呼びました。これから日々青を濃くしていくことでしょう。葉は敢えて黒っぽくし、青を引き立ててみました。

山 原 玲 子         


はがき絵
(2008年6月25日更新)

山原ギャラリー
2008年6月18日(水) 第141回 『水琴窟』
画像  今週は江戸時代初期に考案されたといわれる『水琴窟(すいきんくつ)』を訪ねました。以前、岡山県の小野竹喬美術館で、先日は島根県の絲原記念館で水琴窟の音を聞いたことがあります。が、広島県内ではまだ―。広島県にもありました、出かけました。
 福山市神辺町の和雑貨の店【華工房 大阪屋】。水琴窟は着物地で作られた洋服やバッグ、アクセサリーの並ぶ店舗を通り抜けた庭に。カエデ、ツワブキ、トクサ、ミズヒキソウなどの緑と石組みに囲まれた一角に竹筒が立てかけてあります。竹筒は地中に埋めてある水琴窟の音を増幅させて聴くためのもの。竹筒の側に水をチョロチョロ流すと竹筒から「キンキン、キンコロキン」と細いガラス棒を叩き合わすと聞こえてきそうな鋭角的で澄んだ音が―。
画像  水琴窟の構造を簡単に紹介しましょう。底に穴を開けた甕を逆さに地中に埋め、穴から水を流し入れると底に溜まった水に流れ落ちた水滴の音が甕の中で反響する仕組みです。水琴窟は日本庭園技術の一つで茶室入口の“つくばい”や書院縁先の“手水鉢”の地下に造られました。つくばいや手水鉢で使った水が流れ落ち【琴】のような音を響かせたのです。
 「こういう工夫を考え出した昔の人は偉いですね」とは大阪屋の今西一成さん(51歳)。水琴窟は庭師の遊び心から生まれた日本独自の風流な仕掛けなのです。大阪屋では一成さんの父 昭さん(81歳)が岡山の豪商の家で聴き「わび・さびの風情のある水琴窟は土蔵のある“和”の商いにふさわしいもの」と15年前に設置しました。一成さんによると 晴れればカラッとした音、湿った日はややぼやけた音と天候によって音は微妙に異なるとのことですが、「余韻がなんとも言えない」と。出かけた日は雨の降った翌日。一成さんに言わせると「今日は条件としてはあまり良くない日」だったようですが、私の聴いたその音がそうだとすれば、条件の良い日はさぞかし。頭の中の雑念がスーッと天に抜けるようでもあり、心の中の曇りが晴れるようでもあり―。滴が続くかと思うと少し間を空けてキーンと響いたり―。

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 水琴窟は地中に埋められているのが昔からの有り様ですが、最近は地上に見える形のものが造られていると教えてくださり案内してくださったのは《名水フリーライター・水琴窟師》の錦川鯉さん(51歳)。呉市清水町 休山の中腹にある寺 源宗坊寺(げんそうぼうじ)に錦川さんが造った地上型の水琴窟があります。ここでは山水を竹樋で引いていつでも音を楽しめるようにしてあります。こころ洗われる緑に包まれ涼やかで静謐な空気の漂う境内に水琴窟の音と野鳥のさえずりがこだまします。身じろぎせずじっとしていたい気分です。
 錦川さんが「水琴窟は癒しの音であると同時に“鎮魂”の音でもある」と連れて行ってくださったのが広島市のにぎやかな街中 大手町本逕寺(ほんけいじ)の墓地にそれが―。この寺は原爆が投下された爆心地から700メートルのところにあります。住民全滅に近い犠牲者を出しています。4年前に亡くなった前の住職渡辺文人さんは被爆50年の年、墓地に地下埋蔵型の水琴窟を設けました。住職の奥様の言葉が心に残りました―「滴の一つ一つが原爆で亡くなった人の魂。コロコロという音は魂が闇の中に落ちて行く音。住職は鎮魂の思いをもって水琴窟を聴いていました」


はがき絵
(2008年6月18日更新)

山原ギャラリー
2008年6月11日(水) 第140回 『洋傘職人』
画像  『奥さんがね、亡くなられたご主人の形見のカッターシャツを3枚持って来られて、これで作って下さいといわれました。袖まで使って3枚を接ぎ合わせ作って差し上げたらまぁ喜ばれて―。奥さんはご主人と日々一緒に過したかったんだそうです』とおっしゃるのは洋傘職人の竹原和義さん(66歳)と妻の勝子さん(64歳)。妻は夫のシャツで日傘を注文したのです。
 夫婦二人で作る洋傘の店は尾道市の洋傘製造・卸の《竹原商店》です。竹原商店には所狭しとダンボール箱が―。「親が蚕を飼い糸を採り娘の結婚用に機を織った忘れらない着物」「箪笥の中にしまいこんでいた娘時代の捨てられない着物」「母親の形見の着物」などなど思い出が染み込んだ着物、様々な人生を語る着物が箱に詰まっています。画像休むのは盆と正月の数日のみ。一年の殆どをミシンに向かい、針を持ち、裁ち包丁を手にした竹原夫婦の姿があります。
 竹原和義さんは高校卒業後大阪の洋傘問屋で修業。20歳の時独立しました。大阪で布の裁断だけは習っていましたが、そのほかのことは全く。分業化の進んでいる傘作りの世界にあって独立は勇断です。「恵まれた家ではなかった。兄妹も多かった。長男なので親の面倒もみなければいけない。全てを一人でやれば少しでも収入が多いかと考えた」と竹原さん。裁断以外は独学で技術を身につけました。
 竹原商店ではまとまった数の雨傘を受注生産し“卸”もしています。竹原さんの言葉を借りれば『雨傘で商売。日傘はお客さんへのサービス』。 そうなんです、日傘作りの安いこと、疑いました。1本2500円。裏をつければ500円。解きが加われば500円。それでも3500円です。竹原さんは職人が少ないことと安いから注文が殺到するのでしょう、と言っておられました。確かにそうです。が、それだけではありません。竹原さんの仕事は丁寧なのです。取材日、私が差して出かけた日傘の作りとの違いでわかりました。骨の先についている『露先』の付け方、骨と布の括り付け―糸を何回まわしていつ瘤を作って糸を切ったのかアッという間の丁寧仕事。マジックを見ているようです。

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 傘を作る上で一番難しいのは【裁断】。布の性質は色々。伸びる布なのか縮む布なのか瞬時に判断し、手作りの『型』(三角定規 写真参照)をあて裁ち包丁で躊躇なく一気に裁ちます。無地や総柄の布はいいとして飛び柄の場合、どう柄取りをするか床に広げて夫婦で意見を出し合うことも。それが振袖や留袖だったら大変!一度切ってしまうと取り返しがつきません。慎重です。その後です。三角形に裁った布をミシンで縫い合わせていきます。布の性質に合わせて糸の目調子を調整し最初の一針を下ろすと、後は待ち針なしでズズズズッと。職人の仕事を目の当たりにしました。傘作り47年の技
 竹原さんの仕事のエネルギー源はお客さんの笑顔です、喜びの声です。注文主も活かされた布も竹原さんも、三者が喜ぶ竹原さんの傘作りはダンボール箱に囲まれてまだまだ続きます。
 洋傘はその字が示すように西洋(外国)から日本に入って来たもの。文明開化の象徴とも―。和傘に取って代わり日本に今やすっかり根付きました。時を経て着物地で作る現代の洋傘は“ジャパネスク”ではないでしょうか。

   ☆洋傘職人 竹原和義さんの店《竹原商店》
            〒722−0032 尾道市西土堂町1−7
                     電話:0848・23・3270

 今週のはがき絵は《山原商店》の手作り日傘です。ためておいた箸袋・包装紙を活用しました。紙が喜んでいるように見えます。

山 原 玲 子         


はがき絵
(2008年6月11日更新)

山原ギャラリー
2008年6月4日(水) 第139回 『壬生の花田植』
画像  キビタキのさえずりの響くひんやりした空気の壬生(みぶ)神社境内に2頭の牛が入って来たのは朝8時半。「モォ〜」、一番乗りは大朝の牛。美土里、豊平、芸北、千代田―旧山県郡・高田郡の牛10頭が揃った境内は地域のお年寄り、幼子をつれた家族連れやアマチュアカメラマンで埋まりました。牛は到着次第順次“飾りつけ”―今日は国の重要無形民俗文化財『壬生の花田植』の晴れ舞台。“飾り牛”として田の代かき(しろかき)を受け持ちます。
 『壬生の花田植』が行われるのは北広島町壬生(旧山県郡千代田町壬生)。花田植の始まりは定かではありません。江戸時代前という説、江戸時代からという説と色々言われていますが、日本の伝統文化・民俗芸能であることは確かです。画像神社境内で連れてきた3頭の牛の飾りつけをしている美土里町の飼い主は問わず語りに『ウチで生まれウチで育った牛じゃ。昔はどこの農家も牛を飼ようて牛は農家の宝じゃった。《農宝(のうほう)》よの。牛は農家の経済を助けてくれた。牛と人とが共生・共存してきた文化が日本にゃあったんよ』と。頭は赤・白の綿入れの太い綱で飾りつけられ、背や首にはきらびやかな金銀の織物・刺繍の布。“花鞍”と呼ばれる漆塗りや金箔の豪華な鞍を載せ幟を立てると晴れのいでたちの出来上がり。その間牛はじっとおとなしく大イベントの主役を自覚しているよう。先頭の牛「一番牛」を務めるのは美土里町の1歳7ヶ月の牛。今年花田植デビュー。《農宝》と縫い取りされた幟を立てた牛が後に続きます。
 飾り牛は神社を出発し町内を練り歩いて程近い花田植の田んぼへ。四方に陣取った見物客に拍手で迎えられた飾り牛。興奮したのでしょうか、飛び跳ねながら田んぼに入った牛もいます。飼い主によると牛は水が苦手。大勢の人の声、様々な色に驚くことも。繁殖牛や肉牛である牛たちは田の代かきは経験したことがありません。飾り牛にと依頼された牛は子牛のときに“鼻ぐり”を開けられ、右に左に“追い手”の手綱に素直に行動できるよう調教されます。今年デビューの一番牛は落ち着きはらい堂々と大役を果たしていました。側で飾りつけを見ていたためこの一番牛が気になりずっと視線で追っていた私は一安心!
 牛の代かきで平らにならされた田んぼではいよいよ田植えが―。絣の着物に手甲、脚絆、菅笠姿の早乙女が、田楽団の笛・太鼓の音とサンバイさんの歌う田植唄に合わせ歌いながら神社でお祓いを受けた神聖な早苗を植えていきます。銅鏡を想わせる鈍色(にびいろ)の水面に早乙女の姿が、苗が、太鼓が影を映します。

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 今は五穀豊穣を祈る祭りになっていますが、このような田植風景は昔はそこかしこに見られたそうです。村の庄屋や地主が音頭を取り地域の農家が牛が寄り集まって一緒に田植えをしていたとのこと。そして花田植は男女の出会いの場、集団見合いの場。田植唄にも色めいた男女の唄がある、とは【壬生の花田植保存会】の瀧川(たきかわ)静香さん(73歳 男性)の話です。
 昭和30年頃から農業の機械化が進みました。農家から農耕牛が姿を消しました。牛は農家の同じ屋根の下で家族同然に大事に飼われていたのです。減反政策、食料自給率の問題、食の安全問題、地域の絆など、田植えを見届け田んぼの隅に立てられたエブリ(田をならす木製の道具)から神社にお帰りになった田の神さまはどう思われたのでしょう。

 今週のはがき絵は飾り牛―「一番牛」を描きました。備後絣は早乙女のつもりです。

山 原 玲 子         


はがき絵

(2008年6月4日更新)


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